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コーナーの向こうに ラップタイム(10) - YRS Mail Magazine No.110より再掲載 -

ラップタイム ( 第10話 )

熱いコーヒーの入った紙コップの上下を親指と中指だけで持ち、車検場のかたわらで煙草に火をつける。

「どんなもんかな? 上手くいったようでもあるし、全くだめだった気もする。」

初めてのコース。自ら選択した短い走行時間。自分なりの走り方に対する思想。その全ての答えがまもなく出る。

GT5クラスの第1回予選結果が掲示板に貼られる。競い合うようにその下に置いてある結果表を1枚手に取る。結果は?

予選17位。「・・・・・・。」

適当な言葉が見つからないが、多分、頭の中では「そんなものだよなぁ。」、「こんなんかよ!」と喧喧諤諤に違いない。

参加台数の半分より下。それが事実。「そんなはずはない。」地区2位なんだから最悪でも2位x8地区で16位なんだけどなぁ。」

一桁のポジションを得たドライバーが笑み満面かと思えば、渋い顔をしたドライバーもいる。「そうなんだよなぁ。そんな簡単じゃないんだよなぁ。」

でも、自分の心は晴れていた。なにしろ失敗らしい失敗をしなかったのだから。これは誇れる。失敗がレース活動の停止を意味することは自分が一番よく知っている。そして、予選で自分が何をしたかキチンと覚えていることが嬉しかった。

嘘ではなく、強がりでもなく思う。「これでたたき台ができた。明日が楽しみだ。」

* * * * * * * * 

16歳で軽免許を取った時から、いや中学校で机に隠した自動車雑誌を読んでいる時からレーシングドライバーになりたかった。しかし、18歳になるやいなや普通免許をとるものの、年齢とともにレースに出ることの難しさを知ることになる。ものの本にはこれ見よがしに書いてある。『速くなるためには財布が厚くなければ駄目だ。』

「何をっ! 冗談じゃないヨ。金持ちしかやっちゃ駄目なのかヨ!」

が、レースが出来ないこともまた事実だった。

中学生の時に金網にしがみついて見た第2回日本GP。その日の鈴鹿サーキットは夢の世界だった。鈴鹿はクルマにまったく縁のない家庭に育った少年にとっては聖地だった。

いつしか、A級ライセンスを取るために貯めてあった金が審判員のライセンスに化ける。コース3級。最初は、当時鈴鹿で大きなレースを主催していたNRC(名古屋レーシングクラブ)の好意でライセンスなしで手伝わせてもらっていた。

しかし本格的にやるにはやはりライセンスが必要だった。鈴鹿に通うために名古屋へ越した。

「とりあえず。そう、とりあえず、だ。外からでもいい。レースのそばにいたい。」具体的な活動としてコースオフィシャルを選んだ理由だ。

当時から日本のレースにはお金がかかった。その時にはその理由を理解できなかったが、自分の力では出来ないことはよくわかっていた。

ただ、クルマにしか興味がもてない人間にとってはレース抜きの自分は考えられなかった。「とにかく、一生懸命旗を振ろう。」

オフィシャルは土曜日の朝に集合して2日間の役務−当時はそんな言葉も使っていたーをこなせばよかった。が、大きなレースでは金曜日に練習走行がある。勤めていた工場のオヤジさんに無理を言って木曜日までにノルマをこなし、金曜日には鈴鹿の人になる日が続く。

* * * * * * * * 

「鈴鹿で旗を振っていてよかったよなぁ。一所懸命振っていてよかったよなぁ。レースのやり方をいっぱい見ることができたもんなぁ。」

モーテルのベッドにころがって天井を見る。なぜかむしょうに懐かしい気になる。

「あの頃がなかったら、今はないな。本当に勉強になった。」

あれから10余年。日本からアメリカへ。旗振りからドライバーへ。いろいろと変わった。変わってないことと言えば、『ボクだったらこういうレースをやる』と少しずつ明確になってきたレースへの意識だ。

長い間かけて見つけたことはたくさんある。『練習量が速さに比例しない』という事実もそのひとつ。

実際、あの頃の鈴鹿でもたくさん走りこんでいるドライバーが速いとは限らなかった。もちろん練習量は多いにこしたことはないだろう。でも速さから逆算すれば、練習量の多さが絶対条件だとは思えない例がそれこそ無数にあった。

「フフ。自分で決めた量で結果を出す、ってやっぱ負け惜しみかな?でも走ったからって速くなる保証もないしな。」

「もう寝なきゃ。」と思いつつ眠れない。もう1本ビールを開ける。窓を開ける。住んでいるカリフォルニアのレドンドビーチと異なるしっとりとした空気が冷たい。

「レースに出れるだけでもありがたいと思わなきゃな。出れるだけでも十分なんだよ。できる範囲でやればいいんだ。長く続けたいじゃないか。」

「雑誌の仕事でいろいろなクルマの試乗をしたのも役に立っているよな。エンジニアやメカニックに話を聞けたのも良かった。」

徐々に全米選手権に出場しているという事実がとてつもないことのように思えてきた。走り終えればそれだけでも大変なことのように思えてきた。同時に「大丈夫。うまくやれるよ。」と、心が穏やかになっていく。

「ピーッ」ピットワーカーの笛が鳴る。GT5クラスの予選開始。

リアビューミラーで確認する。「予選14位の赤いミニクーパーがスムーズに走っていたな。彼を先に行かそう。」

できるだけ回転を上げずにクラッチをつなぐ。誰もいないコースを走り始める。

「決勝では前がこんなにひらけることはないだろうな。」

赤いミニクーパーが追いつくまでゆっくりと加減速を繰り返し、それでいて1周目には抜かれないペースを維持しながらタイヤを温める。

第11話に続く

※ 解説用コースレイアウトにあるシケイン(8コーナー)はスポーツカーレースの大きな事故をきっかけに作られたもので、全米選手権の時にはなかった。

≪資料≫