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君はプロセスを軽視してはいないか?

クルマを速く走らせるのは簡単なようで難しい。
その最たる理由は、クルマさんが機械だからだ。人間と違ってアイマイなことが嫌いで、指示された通り(運転手が操作した通り)に機能する忠実な道具だからだ。

ところが、クルマを操る側の人間は、欲にかられ、見栄をはり、実力以上の夢を見たがる始末におえない生き物だ。果たして、この両者が手をたずさえて「高速走行」という難しい命題に立ち向かうことができるのだろうか。

結論から言えば、ある種の人には可能だが、ある種のひとにはできない。言うなれば、2種類の人が「速く走りたがっている」ということだ。その差はどこにあるのか?

実はその「差」は運動神経や反射神経などおよそ速く走るために必要だと思われていることにではなく、「観念的」なものの中に潜んでいるから話しはヤヤコシクなる。

では「ペケ印」をおされる人になく、心おきなくサーキットを走り回れる人にあるものは何か?

それは「相手をおもんばかる気持ち」「豊かな感受性」「謙虚な気持ち」を育むのに必要な「愛」だ。

トランジッション。
日本語に訳せば「移行」あるいは「つながり」。
ハイスピードドライビングで最も大切なテクニックだ。

速く走るのが得意な人は、間違いなくその思考や行動に甲乙(メリハリ)がある。換言すれば、その場に応じた対応が「キチンと」できる人だ。

君が、仮に時速1Kmで歩いていたとしよう。成人が歩く速度の何分の1かの速さだ。誰かが「そこで止まれ!」と言ったら、すぐその場で止まれる速さだ。
君が今度は全力疾走しているとしよう。同じように「そこで止まれ!」と言われたら、君はその場で止まることができるか?想像してみたまえ。瞬時に両足の動きを止めても、身体は前に進もうとするはずだ。で、どうなる?
あるいは、全力疾走している最中に「直角に右に曲がれ!」と命令されたら、君はそうできるか?右に少しだけ方向を変えることはできても、直角に曲がれるものじゃない。それは経験的にわかるだろう。

そう、100%の動作をしている状態から「新たな行動を起こす」ことは人間でも難しい。それも、例え力に勝っていようと巨漢になればなるほど小回りはきかなくなる。

クルマとて同じこと。むしろ人間の数百倍の能力を備えているからこそ、「新たな行動を起こす」ためには、人間が想像するより繊細かつ筋道だった準備と段階が必要だ。

全開加速をしてきて急に必要以上の制動力を加えても、バランスが崩れるだけでクルマが備える100%の制動力を引き出すことにはつながらない。直進状態から急にステアリングを切っても、クルマはすぐに向きを変えることはできない。バランスを崩すのがオチだ。

どうやったらクルマのバランスを崩さず、クルマさんを怒らせず「新たな行動」にスムースに移れるかのか。それを考えるには「愛」が必要だ。

その上で、クルマさんが全制動の準備ができるまで待つ「相手をおもんばかる気持ち」と、準備ができたかどうか察知する「豊かな感受性」と、自分の判断が間違っていた時にゴリ押ししない「謙虚な気持ち」があれば、クルマさんもスムースに「新たな行動」に移ることができるし、運転手も焦らなくてすむ。

この一連の流れを、ハイスピード走行におけるトランジッションと呼ぶ。

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